東京都五反田の女性専用SATO針灸院

軸が整えば、全体は静かに変わる。

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君子とは、強くあることではなく、静かに自分を律すること

「君子」という言葉を聞くと、
どこか古めかしく、遠い時代の人のための言葉のように感じるかもしれません。

けれど、あらためてその意味を考えてみると、
この言葉はむしろ、変化の激しい今の時代にこそ必要なのではないかと思います。

君子とは、身分の高い人のことではありません。

儒家の思想では、人格を磨き、徳を身につけ、正しい行いを選ぼうとする人を「君子」と呼びます。

反対に「小人」という言葉があります。

これは、身分の低い人という意味ではありません。

目の前の損得や、自分の欲望ばかりを優先してしまう人のことです。

孔子は、

「君子は義に喩り、小人は利に喩る。」

と説きました。

君子は「これは自分にとって得か?」よりも、
「これは人として正しいだろうか?」を考える。

この違いは、とても大きいものです。

「正しいこと」と「得すること」は、いつも同じではない

現代は、何かを判断するときに、

「それをしたら、どんなメリットがあるのか」

「どれくらい儲かるのか」

「自分にとって得なのか」

という視点が、とても強くなっています。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

仕事をするなら利益も必要です。
生活するならお金も必要です。

けれど、それだけを判断基準にしてしまうと、
いつの間にか「自分にとって得かどうか」が、人生の中心になってしまう。

すると、

得なら人に優しくする。
得なら学ぶ。
得なら付き合う。
得にならなければ離れる。

そんなふうに、人との関係さえ損得で測るようになってしまいます。

君子とは、そこから一歩離れる人なのかもしれません。

「得かどうか」ではなく、

「これは自分が大切にしたい生き方だろうか」

と問い直す。

その積み重ねが、人の品格をつくっていくのだと思います。

君子は、完璧な人ではない

ここが、とても大切なところです。

君子だからといって、
いつも穏やかで、怒らず、迷わず、間違わない人ではありません。

人間ですから、腹も立つ。
嫉妬もする。
迷うこともある。
弱くなることもある。

それでも、自分の感情や欲望に流されっぱなしにならない。

かくいう私結構な頻度で怒りの感情が湧いてきます。

そんな時は一度立ち止まり、

「今の自分はどうなのだろう」

と、自分自身を見つめ直す。

そして、間違っていたなら修正する。

自分を律する力を持っていること。

それが君子なのではないでしょうか。

私自身はまだまだですが、様々な学びを経てそんな思考を持つことができるようになってきました。

人は、誰も見ていないところでつくられる

人から褒められるために善いことをするのは、比較的簡単です。

誰かが見ている。
評価してくれる。
感謝してくれる。

そんな環境では、自然と良い行動を選びやすくなります。

けれど、本当の品格が問われるのは、

誰にも見られていないとき。

誰にも評価されなくても、
誰にも感謝されなくても、
自分が「これは大切だ」と思うことを続けられるか。

そこに、その人の本質が表れるのだと思います。

SNSの時代は、どうしても「人からどう見えるか」に意識が向きやすい。

どれだけ評価されたか。
どれだけ「いいね」がついたか。
どれだけ認められたか。

けれど、人から見える部分だけを磨いても、
人としての深さは、なかなか育たないと感じるのです。
見えないところで何をしているか。
誰も知らないところで、
どんな選択をしているか。

そこに、その人の「徳」が宿るのかもしれません。

「君子は和して同ぜず」

儒家には、こんな言葉もあります。

「君子は和して同ぜず。」

人と調和するけれど、
何でも同じ意見になる必要はない。

これは、今の時代にとても大切な言葉だと思います。

人と違う意見を持つことを恐れない。

けれど、相手を否定する必要もない。

「私はこう思う」
「あなたはそう考えるのですね」

その違いを認めながら、一緒にいられる。

自分の軸を持ちながら、
他人の軸も尊重する。

これは、簡単そうでいて、とても難しいことです。

だからこそ、そこに「君子」という言葉の深さがあります。

年齢を重ねるほど、知識よりも「人柄」が残る

若い頃は、

何を知っているか。
何ができるか。
どんな実績があるか。

そういうものが、自分の価値のように感じられることがあります。

けれど、年齢を重ねていくと、少しずつ見えてくるものがあります。

最後に人の心に残るのは、

「何を成し遂げたか」だけではない。

「どんな人だったか」

なのだと思います。

一緒にいると安心する人。
困ったときに思い出す人。
言葉に重みがある人。
人によって態度を変えない人。

そういう人には、目には見えない「徳」があります。

それは一日で身につくものではありません。

毎日の小さな選択。

誰かへの言葉。
仕事への姿勢。
家族への態度。
自分との約束。

そうしたものが、少しずつ積み重なって、その人の品格になっていくのです。

君子とは、「人の上に立つ人」ではなく「自分を整えられる人」

私は、「君子」という言葉を、

人の上に立つ人ではなく、自分自身を整えられる人

と捉えると、現代にもすっと入ってくるように思います。

誰かを変えようとする前に、自分を見つめる。

誰かを責める前に、自分にできることを考える。

誰かと比べるのではなく、昨日の自分より少しだけ成長する。

そして、損得だけではなく、

「自分はどうありたいのか」

という問いを持って生きる。

それは、とても静かな生き方です。

大きな声で「私はこういう人間です」と主張する必要もない。

日々の姿勢が、その人自身を語ってくれるからです。

からだを整えるように、人もまた自分を整えていく

身体も、一度整えたからといって、永遠にその状態が続くわけではありません。

季節が変われば、身体も変わる。
環境が変われば、心も変わる。

だからこそ、その都度、自分の状態を感じ取り、整えていく。

人としての在り方も、きっと同じなのだと思います。

「今の私は、少し無理をしていないだろうか」

「誰かと比べて、自分を見失っていないだろうか」

「目先の利益ばかりを追いかけていないだろうか」

そんなふうに、ときどき自分自身を振り返る。

完璧になる必要はありません。

迷ったら戻る。
間違えたら直す。
乱れたら整える。

その繰り返しこそが、人生なのかもしれません。

君子とは、完成された人ではない。

日々、自分を省みながら、
より良くあろうとする人。

人に勝つことではなく、
自分の欲や弱さに負けないこと。

そして、静かに、誠実に、自分の道を歩いていくこと。

「君子」という古い言葉の中には、
そんな普遍的な生き方が、今も残されているように思います。

人生の後半に向かうほど、
何を持っているかよりも、
どんな人であるか。

その問いを大切にしていきたいと思うのです。

佐藤香織|鍼灸師

2008年より施術の世界へ。

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